ソビエト映画における時間とパフォーマンス
クリス・フジワラによる映画表現論
連続講義「ソビエト映画における時間とパフォーマンス」
アテネ・フランセ文化センター
映画批評家クリス・フジワラ氏による連続講義です。今回は「ソビエト映画の作家」をテーマに、複数の作品からの抜粋上映を交えつつ、映画論を展開していきます。講義の前に関連作品の参考上映も行います。
1月21日(金)
17:10-参考上映「青い青い海」1935(71分)監督/ボリス・バルネット
18:30-講義「ボリス・バルネット論」
ボリス・バルネットの映画は、ソビエト映画の伝統のなかでは非主流派と呼べる立場を代表する。イデオロギーよりは本能と直感に基づき、大きな歴史的事件よりは日常生活のうつろいゆく瞬間をめぐって展開する、普通の人々の身体的、感情的体験に根ざした映画だ。ユートピア的な島を舞台にした三角関係を描く『青い青い海』は、バルネットの叙情性とユーモア、その自由の感覚の典型を見せる。ニコール・ブレネズの言葉を借りるなら、この映画は「身振りの発明の詩情を写し取ることで映画をその起源であるライヴの見せ物へと回帰させる。つまりサーカス、アクロバット、ヴォードヴィルと体操である」。(クリス・フジワラ)
1月22日(土)
15:40-参考上映「一年の九日」1961(100分)監督/ミハイル・ロンム
17:30-講義「ミハイル・ロンム論」
『一年の九日』はいわゆる「雪解け」期—スターリンの死後の十数年間、ソビエトが文化政策の統制を緩和した時代—の最も驚くべき作品のひとつである。この厳格な知性に基づく映画で、主人公の核物理学者は、研究の最中に致死量の放射能を浴びる。映画が進むにつれて、ミハイル・ロンム監督の構図はどんどん極端かつ独創的になり、通常の空間感覚から逸脱していく。その不気味で抽象的な視覚的宇宙のなかに、放射線を浴びた科学者の、自らの「異常な死」をめぐる思索が、決して声高に語られることはないその不安と共に、反響していくのである。(クリス・フジワラ)
2月25日(金)
16:30-参考上映「わが友イワン・ラプシン」1984(98分)監督/アレクセイ・ゲルマン
18:30-講義「アレクセイ・ゲルマン論」
1930年代の設定で、監督自身の父のテクストに基づき、職務熱心だが孤独な刑事が犯罪者集団を追うストーリーは、大粛正の時代の犠牲者たちへの哀歌であると同時に、その時代の生き方と、生き方を感じて語るそのやり方の活き活きとした肖像でもある。フェリーニを思わせる、しかしもっと深刻で暴力的なスタイルで撮られ、ディテールの精確さに妥協しない『わが友イワン・ラプシン』は記憶の映画だ。その物語は自足した流麗な長廻しの、しかし確定しない視点によるワンシーン、ワンシーンの連続で展開する。どの登場人物にも救いも逃げる先もない。それはこの物語の語り部も同様であり、だからこそただ静かに過去を見つめ理解しようとしている。(クリス・フジワラ)
■会員制
※非会員の方は入会が必要になります(当日入会可)
登録料:一般1500円/アテネ・フランセ学生1000円(約1年間有効)
■会費
1回券800円/3回券2000円
■講義は日本語通訳付き
■参考上映は日本語字幕付き
■会場&お問い合せ
アテネ・フランセ文化センター
東京都千代田区神田駿河台2-11
アテネ・フランセ4F
03-3291-4339(13:00-20:00)
■主催 アテネ・フランセ文化センター
この記事の著作者:西下外語 @ 00:00
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